BUMP OF CHICKEN
BUMP OF CHICKEN を最初に知ったのは、『天体観測』だった。
有線とかでちょいちょいかかっていたから、「このギターフレーズ(イントロ)いいな」「このボーカルのハーモニクス(ここでは、ギターなどのコードに、ベースや主旋律・コーラスなどを加えた広い意味での和音構成のこと)は好きだな」といった興味だった。 そして、そのシングルを買いに行き、カップリングの『バイバイサンキュー』を聞く。
物語のようなのに、同時に一人称視点でもある歌詞の展開が印象的だったし、天体観測とともに、葛藤構造のある切羽詰まった空気が好きになった。 でも、それ以上に気になったのが、その物語構造を支えている表現力のようなものだったかもしれない。 ある種のポピュラーミュージックは、構造的に「1番・2番」の歌詞を持つ。
(厳密には A→A'→B→C→ブリッジ だったものが、A→B→C→間奏→C'→C'' とか、まったくの繰り返しではなかったりするが、それでも同じようなメロディー要素が何回か反復されるのは間違いない)
この歌も、基本的なメロディーはそうなっていて、1番(広義の)では、不安とか内向とか自責とかそういうことが表現されていて、それが2番に入るところで展開されて、2番ではほぼ同じメロディーで逆に、希望とか自分への信頼とか、そういうものが表現される。 同じようなメロディーで、時間やストーリーが進んでいくのだ。
これが、組曲の構成などのように、1番は短調で2番は長調で、とかだったら分かりやすいのだけど、少なくとも構成メロディーとしては同じものを使っていて、なのにそれをやれている。(コードとかは1周目と2周目では変えていたりするのかもしれないけど) これはなんなのだ?! と。
ということで気になって、当時はiTunesもないしレコード屋さんに行って、当時はまだメジャーアルバムのJupiterも出ていなかったから、The Living Dead とFlame Vein を買って帰ってくるわけです。
そのThe Living Dead。
もうイントロ直後の『グングニル』から。
涙が出るのが止められなかった。
2曲目、3曲目でも泣き続け、『K』では「これは自分のことを歌ってくれている…!」と思い、『リリィ』では「そうだ、自分はこんな言葉を待っていた」と思い、結局『グロリアスレボリューション』、その次のトラックと、結局、1枚を聞き終えるまで、涙が止まることはなかったくらい。そして、アルバム頭に戻ってリピートして聞く……、まるで自動機械のように、再びの40何分間、流れ続ける涙。
そして、ある時期、私にとって「音楽を聞く」というのは、「BUMP OF CHICKENを聞く」というのと同義になった。
彼らの詞を原詞で聞くためだけにでも、日本人に産まれる価値はあったと思う。
ワーキングクラスヒーローでもなく、反戦でもなく、「大人は分かってくれない」でもない。
「内面化された世間の目」みたいな、自分の感情こそが行動と幸せへの障壁になっていて、それへの正義的な怒りの衝動がある。
それが生々しいっていう歌詞にようやく出会えたというか。
ところで。
このバンド名は、リズムというか、語呂のよさだけで決めた可能性が1番高いという気がしてしまうけど(邪推)、その上で一応、「弱者の反撃」とか「臆病者の一撃」という解釈が行き渡っているみたいでもあります。 (ああ、なんてピタッとくるテーマなのでしょうか!)